2019-11-07 第200回国会 参議院 外交防衛委員会 第2号
当時、東西対立の中で日本も翻弄された場面もありましたけれども、しかし、間違いなく今、日ロ両首脳は、平和条約の重要性と、さらに日ロ関係の世界における大きな価値、重みというものを踏まえて私は交渉されている。
当時、東西対立の中で日本も翻弄された場面もありましたけれども、しかし、間違いなく今、日ロ両首脳は、平和条約の重要性と、さらに日ロ関係の世界における大きな価値、重みというものを踏まえて私は交渉されている。
これは、拉致とかベルリンの壁があった、東西対立があったときのロシア、ソ連のスパイなんかについてもいろいろ取り沙汰されていたことですが、こういったことを防ぐための措置として、今それこそICT化ですとかあるいは生体認証のようなことが増えているわけですが、現時点では、まだ旅券申請に本人であることがかなりの確度で証明されている形の写真付きの認証がなくても取れることになっているんですよ。
いずれにしても、東西対立が瓦解以降、アメリカが一生懸命したがって日本を面倒見てくれなくなったというのは一面言えるのではないだろうか、単なる強力な同盟国から一同盟国というような考え方に変わったのではないだろうかというふうに思うんですね。事実、オバマ大統領が世界の警察をやめるというふうに発言をしているわけでございます。
東西冷戦期におきましては、ある意味、非常に緊張感のある、緊張度合いの高い東西対立があった中で、緊張が高い中での安定があった。 しかしながら、その後、東西ドイツの統合、ソ連の解体等があった後に、より平和な時代が訪れるのかなと思っていましたところ、逆に、当時封じ込められていた民族問題あるいはさまざまな問題が今表面化している。 あるいは、技術的な面での変化。
これが東西対立のときの世界の情勢だったんだけれども、随分変わってきた。 そういうことを考えますと、今、もう一つ、第三の視点から、市民対市民の中にかなりの権利の相克があるわけですよ。 先ほど、いわゆる環境権の話もあるんだけれども、権力対市民ということだけで基本的人権を捉えるのか、それを、やはり市民の間のトラブルをどういうふうに乗り越えるかということも一つの視点として必要なのではないか。
今年は戦後七十年ということになりますけれども、世界を振り返ってみますと、東西対立の冷戦時代というのは、軍拡ですとか核兵器を増強する競争が繰り広げられました。核戦争の危機ということも何度かあったというふうに思います。しかし、その後は、核軍縮、核不拡散の動きも強まってきて、核のリスクというのは小さくなってきているんではないかなという、そんな思いをしております。
東西対立というのも一つの見方ですが、しかし、ヤヌコビッチ政権、また、一貫して続いている政治腐敗に対する大変な不満が国民のデモの大きな要因であったということ、これも大事な視点だと思います。 ところが、当初は比較的平和的なデモが、急進的な幾つかのナショナリスト政党がそこに加わったことによって、治安部隊と衝突するようになり、多数の死者が出るようになりました。
つまり、当時の東西対立の高まりと朝鮮戦争の勃発という政治情勢のもとで、アメリカが初めて設定したということであります。 外務省は、この点をどのように認識しておりますか。
そういった意味で、日米、あるいは先ほども申し上げましたように日米安保条約というものも、かつては、まさに東西対立の中での、ある意味、西側の一国としての共同の安全保障であったわけですが、ポスト冷戦から、さらに今日の状況は、そういうソ連を仮想敵国とした状況から大きく変わった中で、先ほど申し上げましたような北朝鮮の脅威といった問題もあるわけであります。
この百年間は、多分、中国にとっては、日本で言う明治以降の近代化と、そして東西対立の中、さらには中国としての自立というものを果たしていく百年ではなかったかと思っております。 その百年の経過の中で、まさにGDPが我が国を抜いて第二位になるという、今度は、単に自国の立場を強化していくというところから、その力を世界の中でどのように発揮していくかという、そういう場面によくも悪くも中国が来ている。
確かに、私も、例えばベルリンの壁が崩壊し、いわゆる東西対立がなくなったときには、世界の軍事情勢、安全保障情勢も大きく変わっていくのではないか、そういったことも期待をいたしたり、いろいろな時期において国際情勢を見てまいりました。しかし、その後、九・一一のテロなどがあり、そして近年は北朝鮮の核実験も行われ、そして最近においては韓国の哨戒艦の沈没事件といったことも起きております。
人間の安全保障が出てきた背景は、先ほど報告させていただきましたが、冷戦崩壊後で、冷戦当時は国と国と東西対立、国家間の軍事的対立が非常な関心事だったわけですが、冷戦が崩壊したことによってその軍事対立に回されていた資源が人々の生活だとか開発に回されるという期待が持たれたわけですが、結果的には、先生御指摘のとおり各地で内乱であるとか地域紛争が起こって人々の生活自体が脅かされると、そういう事態が起こってきたんだと
先ほどもちょっと申し上げましたが、冷戦時代、特にこの密約ができ上がった、今の安保条約ができた五十年前、それから沖縄返還時、そういう厳しい東西対立の時代、これは今とはかなり状況は違ったというふうに思います。 特に安保、今の改定安保を締結したときは、まだ日本も独立してそう時間がたっていたわけではありませんし、朝鮮戦争が終わったのは五三年ですから、まだその余韻もあったというふうに思います。
ただ、やっぱり前回の大恐慌の後、世界で戦争があって、その後、東西対立、つまり二極時代が始まり、二極時代は明らかに日本は西側の一員としてやっていればよかったんです。しかし、その後、G7の時代に入り、七か国の中でやっぱり多数決で三対四で物事が決まるわけですから、アメリカ側にくっついてやっていくというのはよかった。
これは、例えば、世界的規模での例としては東西対立がありました。 そして、今の議論というのは、相手の存在とか相手の反応を全然無視したまま、ある意味では仮想敵国をつくって、こちらの抑止力の強化ということを言っているのではないか。相対的な関係として、視点を移して考えなければいけないのではないか。
○麻生国務大臣 御存じのように、一九九九年か二〇〇〇年に、いわゆる冷戦というものの構造が崩壊して、ソ連が十五の国に分裂等々、いろいろな形で東西対立というものが終わった、いわゆる冷戦構造の崩壊ということになったんだと思いますが、確かに、大きなユーラシア大陸の西半分ではそういった形になったということは言えるかと思いますが、傍ら、東半分の方を見ますと、やはり朝鮮半島の不安定性とか、台湾海峡の不安定性等々、
それから、朝鮮半島、台湾の問題ですが、私、学生なんかによく言うことは、冷戦構造がベルリンの壁の崩壊で終わったというのは正に東西対立という言い方でとらえられていた冷戦構造であって、つまり東ヨーロッパ、西ヨーロッパというヨーロッパ戦線の話であって、東アジアでは冷戦構造がつくり出した分裂、二つの分裂国家はまだ残っていると。それが中国、台湾関係だし、南北朝鮮問題であると。
この朝鮮戦争はもちろん東西対立、冷戦構造のなせる技ですね。そういうアメリカを中心とした資本主義陣営とソ連を中心とした社会主義陣営が鋭く対立をし、朝鮮では熱い戦争になり、さらに、その後の六〇年代にはベトナム戦争も起こしています。 こうした戦争が相次いだ中で、もし九条がなかったら、先ほど申し上げたように、ベトナム戦争でも日本はアメリカ軍に動員されたに違いない。
私も帰る飛行機の中で考えたんですが、なるほどこれは、北朝鮮はあの体制で、七五年というまだ東西対立の厳しい冷戦構造の中で、当然、社会主義陣営、ソ連を中心とする社会主義陣営に入るというのが世界の常識だったろうと思います。それをあえて社会主義陣営に入らずに第三の勢力である非同盟諸国会議に参加をすると。これはまあ確かに決意かもしれません。
冷戦時代は、東西対立の中で、同盟関係を二国間で結んで、そしてその冷戦状況に対処するということに対して、やはりこれを是認する向きが強かったということは、それは確かです。ただ、しかし、冷戦構造が崩壊したときに、実はほっとした人というのが多いんじゃないですかね。やっとこれで何とか希望をつないで、お互いの努力をしていく目安ということを早く確立させなきゃならないと。